山崎研究室

近代史と鉄道から語る山崎隆の都市文明講座

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第11回 「白金・高輪」 編 その1

2009年、9月某日。

秋の気配を感じる某日午後、私は山の手線の目黒駅に降り立った。
今回は白金・高輪エリアを調査しようと思う。
都内でも屈指の高級住宅街である。
ここは幼少期に暮らしていた馴染み深い街でもある。
私は、久しぶりの故郷を前に上機嫌である。
ふと「歩きたいのよ高輪~」というメロディーを口ずさんでいた。
カラオケの名曲「別れても好きな人」の歌詞である。

白金・高輪

アシスタントたちは、早くも鼻歌まじりに歩きだす変なオジサンを見て、
徐々に私との距離をとり始めた。まるでアカの他人どうしのようだ。

私は、とりあえず目黒通り沿いに自然教育園をめざして歩く。
途中、ティディベアを飾る“ぬいぐるみ”の専門店があった。
シロガネーゼは“ぬいぐるみ”が好きなのだろうか。
そういえば、私は、その昔“熊さん”というあだ名で呼ばれていた。
幼少時は子熊さんのように可愛かったからだ。

白金・高輪

自然教育園の入口に着いた。
この庭(というより森)は、約400年以上前には豪族が住んでいた。
江戸時代には高松藩主の下屋敷であった。
維新後、帝国陸海軍の火薬庫となり、大正期には白金御領地となった。
園内には見学コースが設けられている。
木漏れ日を浴びながら林の中を抜けると池がある。
池のほとりには東屋があり、湿地帯を渡る橋もある。
たくさんのトンボが飛翔していた。
彼らこそ太古の昔から棲み続けて来た池の主なのかもしれない。
池には、小魚だけでなく、亀もいる。

本当に、ここは都心なのか…。

白金・高輪

白金・高輪

そして、ついでに隣接する東京都庭園美術館にも立ち寄った。
ここは旧朝香宮邸である。
有料の庭園だが、そのぶん管理が良く、浮浪者も居ない。
園内には、アールデコ風の洋館と、純和風の茶室が建っている。
茶室は池が借景になる配置になっている。

白金・高輪

白金・高輪

平日だというのに意外と賑やかだ。
近所に住むファミリーなのだろうか。
ベビーカーを押しながら散歩に来た親子とすれ違う。
皆、思い思いに庭を堪能している。
ピクニック気分で芝生に寝転ぶ人がいる。
お弁当を広げる人もいる。
ベンチに座り読書する人もいる。
おしゃべりを楽しむママさん達もいる。
彼女らは、間違いなく専業主婦だ。
きっと、ダンナの収入が高いのだろう。
いまどきの白金の専業主婦は特権階級層のようだ。

この付近のマンションを観察していると、
自然教育園の側にバルコニーが向いている物件が多い。
毎日、こんな都心で森林を見ながら暮らしているのだ。
朝なら草木の匂いを楽しむことだって出来るだろう。
これがセレブたちの贅沢な暮らしなのだろうか。
昨今の夫婦は共稼ぎをして生計を立てているケースが少なくないというのに、
どうも、ここの主婦たちは例外のようだ。

白金・高輪

世の中は不公平にできているものなのだ。
私は、そんなことを考えながら、庭園を出た。
目黒通りに沿って高輪に向かう。

瀟洒な店が並ぶプラチナ通りを過ぎ、瑞聖寺(ずいしょうじ)に着く。
この寺が経営母体になってる幼稚園は、実は私の母校である。そして禅寺だ。
私の禅体験は、幼稚園から始まった。

白金・高輪

白金・高輪

かすかな記憶を手掛かりに境内を探索してみた。
が、もう幼稚園は閉園になっていた。
園児たちが遊んでいたであろう玩具が、空しく放置してあった。
いずれ思い出の園舎は解体されてしまうのだろうか。
美人で優しかった杉山先生は、今でも元気かな。でも、もう婆さんか…。
そういえば杉山先生は、大好きな大高未貴に似ていた。
生涯最初のガールフレンドだったチエちゃんは、今頃どうしているのだろうか。
幼稚園歌まで思い出した。「ノン、ノン、ノンノン様、ほとけ様…」。
脳裏には走馬灯のように様々な記憶がよみがえっていた。

白金・高輪

幸い瑞聖寺それ自体は健在で、重要文化財に指定された雄宝殿も状態が良い。
私の在園記録は本格的な仏塔建築物とともに保管されているに違いない。
しかし、誰も時の流れには抗しきれない。世の条理は、諸行無常なのだ。
すると、何故か「時の流れに身をまかせ~」という歌詞が浮かんできた…。
今日の頭は、なんだか、ジューク・ボックスみたいだ。

白金・高輪

私は、カラオケでは昭和の歌謡曲か軍歌しか歌えない。
若い女の子にモテないのは、それが原因であった。
最近の歌の中で辛うじて知っているのは、
宇多田ヒカルのビューティフル・ワールドだけだが、
しかしながら、これはエヴァンゲリオンのテーマソングなので、
つまり“オタク”と勘違いされて、
やはり女性に敬遠される原因となるのであった。
確かに私は綾波レイが嫌いではないが、それが果たして大きな問題だろうか。
それとも、もはや自分が醜いオヤジとなってしまった哀しい現実を、
素直に認めなくてはならないのか…。

どこからか堀内孝雄の「愛しき日々は儚くて~」が聴こえてきた。
また、いつもの幻聴かもしれなかった。

私は、寺の山門を下った。
途中、白金小学校を横目で見ながら、
次の目的地である高輪へ向かった。
白金小学校は、明治期に創立された港区で最も有名な公立校である。
そのせいで付近の賃料が高止まりしているとも言われている。
ここの生徒がお受験に失敗すると、
落ち武者たちは皆、高輪にある高松中学校に進学する。

白金・高輪

高松中学校は、私の母校だった。
そこは屈折した落ち武者たちの巣窟であった。
私の人格は、何らかの影響を受けたかもしれない。

白金・高輪

さて、これから向かおうとしているのは高輪消防署である。
戦前に建てられたモダンな火の見櫓(やぐら)で有名な建築物である。

だが、我々一行を待ち受けていたのは衝撃の事実であった。
偶然にしては、あまりに出来過ぎたシナリオと思われるかもしれないが、
これは絶対に“ヤラセ”ではない。
この世に偶然など存在しないのかもしれない。在るのは、必然だけか。
それは、我々の誰ひとりとして全く想像だにしなかったストーリーだったのだ。
つまり我々一行は、あの軍神の御導きによって遥々辿って来たようなものだったのだ。

(次回に続く…)

白金・高輪

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